本当は全部、奇跡だった。

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本日、親と喧嘩

自分の不甲斐なさにちーんとなってしまいました。


子ども時代に気づけなかった「当たり前の偉大さ」

実家に帰ると、必ず出てくるあの味噌汁。

お出汁の香りも、

わかめのしなっと感も、

あの、ちょっと柔らかく煮すぎた豆腐ですら。

全部が、ああ〜…って。

心の深いところに、染みてきちゃうんですよ。

「あんた、太った?」

って開口一番に言われたって、

なんだか嬉しい。

あんなに反抗して、

ウザいウザいって言ってたのに。

いつの間にか、

その“ウザい”が恋しくなってたんだなって

気づいて、ふふっと笑ってしまう。

私、小さい頃から

いろんな“当たり前”に守られてたんですよね。

洗濯された制服。

朝早く起きて作ってくれたお弁当。

熱を出せば病院に連れてってくれて、

夜中に咳き込めば、横でずっと背中さすってくれた。

あの頃は、

それが「普通」だと思ってたけど。


本当は全部、奇跡だったんですよね。

だって、

仕事も家事もして、

それでも笑って「おかえり」って言ってくれる。

「今日寒いから、コートちゃんと着て行きなさいよ」

なんて。

今になってようやく気づきました。

あの言葉たちは、

ただの注意じゃなくて、

“愛”だったんですよね。

きっと毎日、

目に見えないレベルでいろんなものを与え続けてくれて、

でもそれを「恩着せがましく」言わなかった。


あの人たち、無償のレバレッジでしかない。

今、自分がこうして生きていられるのも、

夢を見られるのも、

何かに挑戦できるのも。

全部、親が背中を押してくれたから。

直接じゃなくても、

ずっと支えてくれてた。

何も言わずに、ただ黙って。

その偉大さに、

私はずっと気づけてなかったんですよね。

だからせめて。

今年の年末くらいは、

ちゃんと言いたいなって思ったんです。

面と向かってじゃなくてもいい。

でも、ちゃんと。


ありがとう。

そう言える自分でいたいなって。

おやすみなさい。

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